
作家の読書道 第101回:円城塔さん
もはやジャンル分け不能、理数系的で純文学的でエンタメ的でもある、さまざまな仕掛けをもった作風で毎回読者を驚かせる作家、円城塔さん。物理を研究していた青年が、作家を志すきっかけは何だったのか? 素直に「好き」と言える作家といえば誰なのか? 少年時代からの変遷を含めて、たっぷりお話してくださいました。
その2「何もしていなかった(?)高校生活」 (2/8)
――学校の教科書や課題図書などは印象に残っていますか。
円城:一応読みましたが、やっぱりヘンなものが好きで。別役実さんのちょっと変わったエッセイが載っていたのは覚えていますね。それは高校生の頃かな。
――高校生活はいかがでしたか。
円城:さらに何もなかったですね。高校生活は一番、覚えていません。本当に何もしてなかった。生徒会で何か一年くらいやらされたのがあるくらいで、あとは本当にないですね。
――進学校で勉強ばっかりしていたとか?
円城:それはあったかもしれません。まあ、高校生が勉強するといってもたかが知れているわけです。家で勉強していても、気づけば寝てしまっていて蹴飛ばされる(笑)。実際どれくらいやっていたのかは分からないですよね。
――読書は。
円城:中学生の頃と同じですね。親からの「本読むな」令が解除されて好きなものを読んでいたと思います。日本文学への接近はすごく遅くて、やっぱり海外の翻訳もの、ファンタジーもの、たまにSFみたいなもの、もしくは何かヘンなものを読んでいました。
――漫画は読みましたか。
円城:読んではいました。でも週刊誌を買うという発想がなかったんです。単行本派だったわけですが、そのことを認識していたかも怪しい。連載という概念をとらえていなかったんです。作者という人がいると気づいたのがかなり遅い。絵本の作者、小説の作者、漫画の作者がいる、誰かがそれを作っているということに気づくのがすごく遅かった。ちゃんと考えるようになったのが大学生くらい。だからそれまでは、追い方が分からなかったんですね。漫画の単行本を読み終えて、はやく続きを読みたかったら漫画誌を買えばいいのに、そういう発想がない。分からなかったんです。小学生の頃は『コロコロコミック』なんかをたまに買うんですが、それも読んだら終わり、満足していましたね。次号を読もうとは思いませんでした。
――では、本を選ぶときは、作者ではなく、レーベル買いだったのですか。
円城:そうですね。ハヤカワ文庫FT、富士見ファンタジア文庫、あとはトクマ・ノベルズだったんでしょうね。『銀河英雄伝説』が終わった頃でしたから。文学的にはあまり褒められることのない読書ですね......。いわゆる純文学からは遠い。
――自分でも物語を想像したり、文章を書いてみたりなどはしませんでしたか。
円城:作文はダメでした。ああ、今ふと思い出したんですが、高校生の頃に、わら半紙の裏にちょろっと書いて周りにまわしていたことはあります。何だったんだろう、数学の先生だったかが、教室の入り方にちょっと特徴があったんです。つねにそれをオチに使っていました。毎回、殺人事件とか何かよく分からないことが起こるけれども、その人がガラッと戸を開けて入ってくると「あの方が!あの方が!あの人が来れば大丈夫!」となって終わり。事件解決はしていないです。そういうものをほんの一時期やっていました。やってることは今も変わらない気がします。
――得意科目は何だったのですか。やはり物理だったのですか。
円城:実技以外はそれほど苦手ではなく...手先を使う実技はいいんですが、体育とか集団行動での実技はダメで。点数を取れないという意味では、物理はどちらかというと苦手だったんです。好きだったのは物理と生物と世界史とか。進学するときに何か選べと言われたときに困って、結局物理にしたんですけれど。
――大学に進学して、北海道を離れたわけですね。
円城:僕は札幌なので、北大に行こうと思っていたのですが、願書を出すひと月前くらいに友人に「オレ東北大を受けるから、お前もどうだ」と言われ、そう言われてみれば札幌を離れてみたいなと思い...。
――そんな理由ですか(笑)。
円城:そんな理由です。その相手は天文をやりたがっていて。天文となると東大と京大と東北大くらいしかなかったんですよね。その人はそういう理由があったのに、僕は「そう言われてみれば」というだけで。