9月23日(火・祝)お彼岸

昼寝をしていたら枕元に置いてあった携帯がブルブル震えた。手を伸ばすと切れてしまい、着信履歴を確かめたらとある出版社の人だった。

祝日にいったいなんだろう? なにかその出版社の本を「本の雑誌」か「WEB本の雑誌」で紹介しただろうか? 帯か販促物の確認だろうと思いつつ、折り返しの電話をかける。

「あっ、杉江さん? 仕事?」
「いや、今日は...」
「じゃあ酒飲んでた?」

この人には仕事か酒しかないのかと思わず笑ってしまう。

「あのさ、イのなんだっけ?」
「えっ?」
「お墓、お墓」

お墓? あっ、目黒さんのお墓のことか。たいていの人が目黒さんのお墓参りにいくとどこだか迷い、私に電話してくるのだった。

なぜ私に電話してくるのかといえば、私が目黒さんのお別れ会で司会進行をし、その最後に想い溢れて嗚咽しながら、「ぜひお墓参りに行ってあげてください」と言ったからだった。

「イの3です。イの3の左側の7つめに、新しく本の形に彫られたお墓がありますので」
「イってどこだろう? 案内板見てもわからないんだよ」

詳しく聞けばその人が居るのは慈眼寺ではなく、お隣の染井霊園だった。

慈眼寺の場所を説明していると、電話の背後から「あっ、ここじゃないの? あっ、あっち」という女性の声が聞こえてくる。

その瞬間、寝ぼけていた私の頭が一気に動き出し、涙が止まらなくなった。

その出版社の人の奥さんは、とある有名な作家だったのだ。目黒さんのお別れ会を終えた時、ふたりは肩を並べて私のところにきて、目黒さんにたくさんの書評でお世話になったことを語っていたのだった。

電話を切って、ベッドから起き上がる。そういえばその作家が6年ぶりに出す長編のプルーフが、会社に送られてきていたのだ。

今頃きっと目黒さんは、夢中になって新作を読んでいることだろう。

9月22日(月)パブリッシャーズ・ウィークリー

午後、『本を売る技術』の矢部潤子さんと池袋の「コメダ」で「みんなの本屋講座」の打ち合わせ。

夜、東京駅に移動し、新丸ビルの「中国菜厨 エスサワダ」にて、同じく本屋大賞実行委員の高頭さんとともにパブリッシャーズ・ウィークリーの取材を受ける。海外からの取材は初めてのことで、しかも2ヶ月ほど滞在して日本の出版社や取次、そして作家を徹底的に取材している記者はポーランド系ドイツ人、現在ロンドン在住とのことで、すべて英語での質問で激しく緊張する。

本の雑誌社の前は外資系出版社に勤めていた私であるが、一切英語は話せない。もちろんヒアリングもできない。だから海外からの電話も多かった前勤務時代には、机に「ジャスト・モーメント・プリーズ」と張り出し、私以外ほぼみな英語ができる先輩たちから大笑いされていたのだった。

なので、間を取り持っていただいたH書房のY氏に通訳を頼み、鋭い質問に高頭さんと答えていく。

もしかするとこれを機会に世界中に本屋大賞ができるかもしれませんよと言われる。

9月21日(日)石川直樹『最後の山』

  • 最後の山
  • 『最後の山』
    石川 直樹
    新潮社
    2,420円(税込)
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  • 空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)
  • 『空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)』
    ジョン・クラカワー,海津正彦
    山と渓谷社
    1,430円(税込)
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週末実家介護をしながら石川直樹『最後の山』(新潮社)を読み終える。

山の絵が空押しされた美しい装丁に惹かれて購入した本だが、この本は旅のカバンの中や旅先の宿の本棚でボロボロになって初めて真の姿となる本だと思った。

写真家の石川直樹は旅の延長で山登りをしているうちに8000メートル峰14座を登頂していたのだ。まずその事実に驚いた。

さらに14座登頂の日本人といえば竹内洋岳(『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学』NHK出版新書)と思ったら、その後「真の山頂」論争があり、竹内氏をはじめ多くの8000メートル峰14座登頂者が「真の山頂」には立っていないことが判明していることに二度びっくり。さらにさらに現在では1シーズンにいくつもの8000メートル峰を登り、シェルパの人たちが仕事を超えて登山に目覚め数々の記録を塗り替えているなどといった高地登山の様相にもっとびっくりする。

かつてジョン・クラカワーの名著『空へ』(ヤマケイ文庫)がエベレスト登山の現状を描き、山岳素人である私たちに現実を知らしめてくれたけれど、『最後の山』もそれに匹敵する面白さだ。

どんなに安全になったとしても8000メートル峰14座を簡単に登れるわけではない。やはりそこには死の口が開かれている。行間から生と死が、自然への畏怖が、そしてたくさんの人々やその土地への愛情が伝わってくる。『最後の山』は、これから何十年も読み継がれる本になるだろう。

9月20日(土)お供え

週末実家介護のため母親を介護施設に迎えにいく。

今日は5万9千枚完売の鹿島戦で、妻からは自分が留守番しているから行って来なよと言われたのだが、1週間熟考してチケットを息子の友達に譲ったのだった。

昼の試合ならいい。夜の試合はやはり妻の負担が大きくなりすぎる。家族や夫婦なら甘えていいというのは一番の間違いで、最も身近な間柄こそ気を遣わなければならないのだ。そしてそんなことを気にしながらスタジアムに行っても100%戦えるわけでなく、そんな人間はゴール裏に必要ないのだった。

午後、母親の親友が手作りのおはぎを持ってやってくる。

去年は早速食べようとして、「お供えが先よ!」とおばさんに怒られたのだった。

忘れずに父親の仏壇にお供えする。

9月19日(金)暑さ寒さも彼岸まで

一夜明けたら突然秋になった。大変涼しくやっと人の住める世界が戻ってきた。来年のために記しておこう。暑さは9月19日まで。まさしく「暑さ寒さも彼岸まで」だ。

朝、コーヒーを飲みながら朝日新聞を読んでいたら、「日産の行方 中」と題した記事が大変興味深い。

日産はゴーン時代に、開発、企画、収益管理の三者にわけ、それぞれが主張をぶつけ徹底的に議論する仕組みにしたそう。

当初は成功したが、「徐々に収益管理の責任者が強くなりすぎ」ていく。

「三権のうち収益管理の責任者の力が強くなったことで、「一定の収益が確保できないと自身の責任になるので、販売しない方がマシ」という判断が増えていった。日産関係者はそう証言する。」

「もうかる車だけを売る──。合理的な経営判断のようにも見えるが、中西は「もうけることに偏り過ぎ、お客が喜ぶ車を作ることがおろそかになっている」と指摘する。」

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